仕事柄どうしても家にいる時間が多く、ともすると1日外出しないなんて日も
ある。JQStudioが出来てから、この傾向はどんどん進み、冗談で言っていた
「引きこもり作曲家」という称号が板についてきた。
もちろん良いことではない。1週間ほど前から、どんなに忙しくても、これと
いって外に出る予定がなくても、外で出来る物と、愛機R-D1(カメラ)をもって外出することにしている。
まあ、自由が丘や田園調布の茶店を回って、仕事の資料や台本を読んだり、読書したり、新たな企画を考えたりと、外で出来ることも案外と沢山あり、この習慣はこれからの穏やかな季節には良いであろう。
今日は自由が丘の「カフェラミル」というカフェで、常時携帯している雑記ノートに綴ったものを、このブログにアップすることにした。
さて、表題の「リチャード・ライト氏」とは、昨年亡くなったPinkFloydのキーボーディストである。しかし、キース・エマーソンや、リック・ウェイクマンといった、同時代に同じカテゴリーのバンドで競い合った面々と比べると、そのプレイは目立つものではなく、バンドのサウンドをしっかりと支えているといった印象であった。
PinkFloydのサウンドといったら、まずデイヴ・ギルモアの浮遊感漂うストラトキャスターがその中心となっている。そしてこれは紛れもない事実で、自分も彼のギターこそがこのバンドの第一の構成要素と考えてきた。だがしかし、この1週間程Floydを聴きなおしてみて、目立たなかったはずのライトの全てのプレイが心に響いてくる。
その理由としては、今回のLondonでの体験が、自分の中で、彼の演奏のアプローチこそが英国紳士の気質を十二分に表現していることを再認識させてくれたからである。
早弾き、派手なアクションを一切することもなく、淡々とただ必要な音を奏でる中に、独自の世界観を実現する。決して吐出して目立つことはないが、そこには洗練された音楽的且つ革新的なアイディア、妥協なく選ばれた美しい音があり、正確なタッチがあり、もちろんRockMusicとしての反骨心をもち、イギリス人特有の皮肉すら表現してしまう。もちろんコマーシャリズムなど微塵もない。
こうやって書くと、これは全部PinkFloydの音楽そのものだ。そして私にとってこのサウンドは、いつも人生の一つの基準であり、決して音楽の枠のみに収まらない影響を与え続けてくれる。
自分はきっと彼の英国的インテリジェンスに惹かれるのであろう。
オルガンのロングトーン、ピアノのヴォイッシング、シンセの中間音的音色は絶品であり、彼の使用楽器は全て欲しくなってしまう。残念ながら今では手に入らない楽器がほとんどで、それを考えると、なぜあの時無理をしてでも買わなかったのか、という大きな後悔が残る。これは、彼のコピーをしようなどという姑息なことではなく、彼をミュージジャンとして、メンターとして身近に感じたいという願いからだ。
彼が逝ってしまった今、その思いは強くなるばかり、良い出物があったら手に入れたいと思い、ついつい中古市場をチェックしてしまう毎日である。
自由が丘「カフェラミル」にて。(R-D1)